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神戸地方裁判所 昭和30年(ワ)175号 判決

原告 柳沢松子

被告 阪神タクシー株式会社 外一名

主文

被告等は原告に対し各自金百六十三万六千二百十七円及びこれに対する昭和三十年三月十六日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告等の連帯負担とする。

この判決は、原告において被告等に対し各金五十万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

被告会社が自動車で旅客を運送することを業とするものであり、被告橋本が同会社に雇われている自動車運転手であること及び昭和二十九年十二月二十九日午後十時過頃神戸市東灘区本庄町深江栄通一丁目地先阪神国道南側車道で被告橋本が右会社の営業のために運転し西進中であつた同会社の大型四輪自動車と原告の夫柳沢正夫(当時四十歳)とが衝突し、同人がその事故のため頭蓋内出血により即死したことは当事者間に争がない。そこでまず同人の死が被告橋本の過失に基く行為に因るものであるかどうかについて考えてみるのに、成立に争のない甲第四号証の九、十、十二に被告橋本信重本人の供述並びに検証の結果を綜合すると、被告橋本は当日午後十時過頃国鉄芦屋駅前より客を乗せた前記自動車を操縦して芦屋川を越え稍々下り勾配になつている阪神国道の南側車道を時速約五十粁で西進し、通行する人影を認めないまま前記本庄町深江栄通一丁目地先森市場南方の二つの横断歩道を越えた地点で周囲の電燈の明るさにより斜右前方約十七米の阪神国道電車軌道上を南に向い横断しようとする右柳沢正夫を認めたが、同人が自動車を避けて立ち停るものと誤認し僅かに速力を減じたのみで警笛も吹鳴せずに直進したため、同人の二、三米手前に接近し同人がなおも進路前方に出ようとするのを認め遽かに急停車すべく制動ペダルをふんだが及ばず、右自動車のフエンダーで同人をつき飛ばして転倒させたものであることを認めることができ、右認定はこれを覆えすに足る証拠がない。しかして右認定のような状況の下においては、自動車運転手たる者は警笛を吹鳴して歩行者に注意を促すと共に、歩行者の挙措を注視し、歩行者において万一進路前方に飛出るようなことがあつても直ちにハンドルを左に切り急停車の挙に出られるよう速力を減ずる等の措置をとり以て衝突を未然に防止すべき義務があるのに、叙上の措置をとらず、本件事故を惹き起したことは、被告橋本の運転上の過失に基因するものといわなければならない。もつとも、被告橋本本人の供述によると、同人が右被害者を発見してまもなく同所を東進してきた自動車の前照燈の光線により目が眩み一瞬被害者への注意を妨げられたことを認めることができるが、前記認定の状況よりすれば、被告橋本が被害者を発見後直ちに右注意義務を尽しさえすれば右事故を未然に防止できたと認められるので、右事実によるも被告橋本の右過失責任を免れることはできない。被告等は右事故が被害者柳沢正夫の重過失にのみ起因する旨主張し、後記認定のごとく被害者にも過失があるが、これをもつて右事故が被害者の過失のみに基因するということはできない。すると被告橋本は自己の過失により右柳沢を死に至らしめたことによりその妻である原告に対し損害を賠償すべき義務がある。つぎに被告会社の責任について考えるに、本件事故は被告会社の被用者である被告橋本が被告会社の営業のため自動車を運転中に起したこと前記のとおりであるから、被告会社は被告橋本が右事故により加えた損害について賠償の責があるところ、被告会社は被告橋本の選任監督につき相当の注意を払つた旨主張するので、この点を判断する。成立に争のない乙第一号証に証人椿野寛の証言を綜合すると、被告会社は被告橋本を雇い入れ同被告が普通免許を受けて後一定期間の貨物部、バス部の各勤務を経て成績良好と認めハイヤー部に所属せしめたこと及び本件事故前夜は同被告に充分な休養をとらせ、当日就業前においては車体の検査注油等につき適当な指揮監督をしていることが認められるのであるが、本件のような衝突事故の発生を防止するについて相当な注意をしていたことについてはこれを認める証拠はなく、かえつて前記甲第四号証の十によると、同被告は以前速度違反で罰金刑に処せられていることが認められるところ、右証人椿野の証言によると、被告橋本の所属する被告会社芦屋営業所主任で被告橋本を直接指揮監督する立場ある椿野寛は本件事故当時被告橋本の右前科を知らなかつたことが認められるのであつて、同被告が前段判示のような過失を犯し人を死に致した以上、右の指揮監督上の注意を尽しただけでは、これが相当の注意を払つていたということはできない。従つて被告会社の右主張もまた採用することができない。

そこで、進んで損害の数額について判断する。証人土橋盤雄の証言によつて、その成立を認めうる甲第二号証に右証人の証言及び原告本人の供述を綜合すると、被害者柳沢正夫は早稲田大学を卒業し本件事故当時片倉工業株式会社に勤続八年で同会社神戸出張所の課長待遇を受け昭和三十一年からは課長に昇進することが確定していたこと、当時の年収が諸税を差引いて二十八万四千六百八十九円で、課長になるとその年収が同様諸税を差引いて三十六万二千四百五十三円であること、右会社では五十五歳を以て停年退職とし課長最高給退職者には諸税を差引き七十九万七千六百円の退職金を支給する定めになつていること及び右柳沢は同会社に勤務する前、主計大尉として軍籍に身をおいていたことがあり昭和二十九年十一月頃から三週間程度坐骨神経痛を患い会社を欠勤したほかは身体に別段異状がなかつたことが認められこの認定を左右する証拠はない。

しかして右柳沢が本件事故当時四十歳であつたことは当事者間に争がないから、右認定の同人が健康体であつたとの事実から、同人は少くとも二十年の余命を有することが経験則上明らかであり、従つて同人が将来前記片倉工業株式会社を退職したであろうような特段の事情の認められない本件においては、同人は右余命の範囲内である五十五歳に達する昭和四十四年まで右会社に勤務し得たものと推認せざるを得ないし、柳沢の学歴、年令、勤続年数からみて昭和三十一年から課長に昇進し前記のように年収の増加することは事故当時において予見することが可能であつたといえよう。ところが、原告は右柳沢の生活費として昭和三十年は一ヶ月金一万円、昭和三十一年以降は一ヶ月金一万五千円の各割合による生活費を控除することを自認し、右各金額が生活費として少きに失しないことはこれ亦経験則上明らかであるから、これを前段認定の昭和三十年より昭和四十四年までの年収と退職金の合計額から控除すると、右柳沢の右十五年間に亘る推定収入が三百五十一万六千六百三十一円に達することが明らかである。これが本件事故により柳沢正夫の蒙つた損害である。被告等は本件事故発生について被害者にも過失があつた旨主張するのでこの点について判断するに、被告橋本本人尋問の結果によると、被害者柳沢には本件事故当時飲酒した形跡のあつたことが認められるけれども、証人土橋盤雄の証言や原告本人の供述によると、柳沢は相当の酒量家であつたことが認められ、当時足元が不安定である程めい酊していたと認められる証拠はなく、また検証の結果によると、事故現場の東約二十米の地点に前記横断歩道が設けられていることを認めることができ、道路交通取締法施行令第九条によると、歩行者が道路を横断するときは、横断歩道の設備のある場所の附近においては、横断歩道によつて道路を横断しなければならない義務があることが明らかである。従つて被害者柳沢としては右横断歩道によつて横断すべきであつたといわなければならないから、被害者にも右義務に違反する過失があるが、右柳沢は被告橋本運転の自動車の直前に突如現われたのではなく、同被告は既に十七米前方に同人を認めたこと前認定のとおりであるから、被告橋本が前敍のように警笛を吹鳴し前方注視義務を完全に履行し、且つ減速措置を講じてさえおれば、右柳沢の過失にかかわらず本件事故を避けえたであろうことは容易に看取しうるところである。それ故当裁判所としては、右柳沢の過失は本件賠償額の算定については斟酌しないこととする。しかして原告本人の供述によると、前記柳沢正夫には妻である原告(原告が右柳沢の妻であることは被告等の認めるところである)のほかに兄一人姉二人妹一人の遺産相続人があることを認めることができるので、原告は右損害額の三分の二の相続分二百三十四万四千四百二十円からホフマン式計算方法により年五分の中間利息を控除した金額の損害賠償請求権を承継したことになり、原告が主張する百六十二万八千二百十七円が右承継による請求金額の範囲内であることは計算上明瞭である。

つぎに、慰藉料の額についてであるが、原告本人の供述によると、原告と前記柳沢との間には子女がなく、原告は右柳沢の死後昭和三十年八月より大阪市所在の会社に勤務し月収約七千円を得て自活していることを認めることができ、この認定の妨げとなる証拠はなく、該認定事実、原告の年令、前段認定の事故の情況等諸般の事情を斟酌し、原告の蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料は金十万円を相当と認める。

よつて、被告等は連帯して原告に対し右合計金百七十二万八千二百十七円を支払う義務があるところ、原告は被告会社から葬儀費用等として金九万二千円の支払を受けたので、これを控除すると自陳するから、原告の本訴は、被告等各自に対し右金員を差引いた百六十三万六千二百十七円及びこれに対する訴状送達日の翌日であること記録上明らかな昭和三十年三月十六日より完済まで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める限度において正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却すべきものとし、民事訴訟法第八十九条、第九十三条、第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 村上喜夫 谷口照雄 大西一夫)

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